きみがジャニーズであったこと


大好きだった、


弱っているものが美しく映る世界で、
あなたは、勇敢で、逞しかった。

 

あの頃の神宮寺くんも、今の神宮寺くんも、ジャニーズJr.特有の、ある日突然この表舞台から消えてしまいそうな、危うさとか、儚さとか、そういうのものは感じさせないタイプのアイドルだった。
どちらかといえば、歓声の中でスポットライトを浴びた分だけ自信に変えて満ち足りたように踊っていたからだと思う。神宮寺くんを応援していて、好きでいて、自分も幸せになれたのは、あなたがジャニーズとして生きる自己肯定感が高かったからなんだろうな、と。

 

雨降る日に、願った。
「デビューする神宮寺くんが、誰よりも幸せでありますように」
その想いはいまも変わらず、あなたが健康で心健やかに過ごしてさえいれば、と幸せを願うばかり。これまで授かったたくさんの愛をお守りにして、わたしもわたしの人生を生きて行くのだなと思う。

あなたがいてくれなかったら、ひとりでは出来なかったことがいっぱいあるよ。自分だけで飛行機に乗るなんて考えられなかったし、現場ではいつだってきらきらしていたくて、お洒落を覚えるのもあっという間だった。ときより、街でブルーのワンピースを見かけては買いそうになる癖はなかなか抜けないね。今年はもう着ていくところがないかもな、なんて切ない幸せを今更教えられている。
うちわと、ペンライトと、ほんの少しの夢うつつさ、とを詰め込んだスーツケース片手に出勤する4月の月曜日とか、地方の居酒屋でだらだらと自担の好きなところを語り合ったあの8月の熱帯夜とか、いつもの夏は来ない。こうして秋になって、冬を迎えて、あなたとじゃない季節が増えていく。ひとりでは何も出来ないね。原動力が、すべてあなただったから。あたりまえの生活すらままならない。

 

アイドルでいること、ジャニーズであること、誰よりもそれを大切にしていたのはあなただったよね。
「ジャニーズのコンサートって一律同じ料金をいただいている」「Jr.の照明が暗くなっちゃう」と腕まくりして、リハの機材席に張り付いてスタッフさんと肩を並べる姿、アイディアと努力が詰まったiPadを片手に客席まで駆け降りてスタンドを走り回る姿、4年目にして担うものを形にしたいという責任と誇りが零れ落ちそうで。わたしは必死にかき集めて、鍵のかかるところへ閉まったんだ。あなたが、ここで見つけた、大切なものだから。初の単独ドームで本業をこなしながら、暗転の中で映像を確認する姿。この5年で掴んだふたつの柱だった。
バックで誰よりも大きく口ずさみながら踊っていた少年が得たもの、それがここで生きたんだなってうれしかったなぁ。神宮寺くんの演出も、演出を作り上げる神宮寺くんも、わたしの特別だった。

コンサートの最後、5人ともが客席に背を向ける。Jr.一人ひとりの顔を見て、彼らの名前を呼んで紹介するのが恒例になったのはいつだったろう。
あの背中、大好きだったよ。長年、Jr.のトップを牽引してきたあなただからこその想いがあったりするのかなぁ。いまでこそ、幅広いコンテンツからJr.の名前やグループ名を知れる時代になった。でも、やっぱりコンサートのバックって特別というか。あなたが作り上げてきたものが、あなたたちに限らず、後輩そしてこれからの環境で生き続けること。神宮寺くんがよく口にしていた恩送り、だね。バックで着いてくれてた子たちがデビューしてコンサートをしたとき、このときのことを思い出して、そうやってまた想いが繋がったら素敵だね。

 

書店で並ぶアイドル誌にあなたがいないことが想像出来ないし、地下の狭い場所で写真を選んだこともいつか忘れるかもしれない。歌い込んだ楽曲があなたの声で更新されることもないし、門限を気にされることもきっともうない。暑くて、狭かった、あの夏は、蜃気楼のように消えてく。

「シンデレラガール」も「ichiban」ももうあなたの手からは離れてしまう。こんなにも簡単に。悔しいし、もっと、出来たことがあったんじゃないかって、わたしたちに出来たこと、例えば、売上枚数、再生回数、タイトル、数字、求められているもの全部教えて欲しかった。「無理はしないでほしいな」じゃなくて、もっとわがままをぶつけて欲しかった。アイドルとしての偶像は完璧だったけれど、あなたの本心が欲しかった。「自分が欲しいと思うものを無理なく手にしてくれればいいし、それを何度も楽しんでいただければと思っています」甘えていた。好きなだけでは、きっと、だめだった。

 

あの日、11月3日 23:00。たくさん後悔した、開き直って前向きに過ごしてみたり、たくさん泣いた、立ち止まって振り返ってみては、過去の自分が羨ましくてたまらなかった。
「推しは推せるときに推せ」なんて、誰かの受け売りだけれど、あの頃はいろんな媒体でそれを目にした。自担が踏み台にされているようで、心が苦しかった。
他G担も別界隈も、他人事だからそういえるんだろうなと思った。いつ降りかかるかなんて分からないし、きっとこの言葉を常に胸に置いていたとしても、後悔しないことなんてないんだろうな、といまでは分かる。ならば、なにひとつ後悔がないのかと問われたとき、わたしは強がって、「行った後悔より行かない後悔、後悔したことはない」と答えるだろうけど、到底そんなわけもない。

熱愛も、流出も、匂わせも、裏切られたことなんて一切なくて、こんな言葉、本当に重くて、困ると思うのだけど、愛されていた記憶しかない。大切にされて、いつでも一番に考えてもらって、そんなの痛いくらいに伝わってた。「あぁ、この曲のダンスが好きなんだろうなぁとか。たくさんティアラの皆さんのことを考える期間でした。素敵な期間、僕たちに与えてくれて、本当にありがとうございました。」っていってくれたこと、いまでも覚えているよ。

あとね、「僕たちにたくさん愛をくれるので、僕たちはいつもお返ししなきゃなと思ってるんですけど、なかなか皆さんの愛の方が多くて、まだお返しきれてないなぁ」っていってたけれど、ううん、神宮寺くん、それはね間違ってるよ、大きな愛はちゃんと届いてたよ。ちゃんと届いてた。愛することも、愛されることも、教えてくれたのは神宮寺くんだった。愛する人の幸せを願うのもまた愛なのだと、彼の幸せを願うことが自分にとっても幸せだと、そう思いたいけど、聞き分けの良い自分なんかじゃなくて。

だからこそ、「これから先、メンバーがこの先1人でも退所するという話が出たときに、自分も退所させていただくということを勝手ながら、自分の中で決めていました」って言葉が、ただひとつ、あまりにも本心のようで、なんの嘘もなくて、あなたの本当の本当の本音なのだと、余計にしんどかったんだ、

「誰かの役に立てるような人になりたいと」って何だろうね、聴きたかった2番も、披露してないカップリングも、消費されてないカンペもまだまだいっぱいあるよ。5周年、10周年、埋め尽くす光と、どこまでも続く夕空、水を使った機構、高く昇っていくしゃぼん玉、5色に照らされた夏の夜空と特効も、神宮寺くんの好きそうな演出だよ。こんなにも思い浮かぶのにね。

「いつもありがとう。お返しし切れないぐらいのたくさんの愛情を頂いたことは、ずっと心の中に大切にしまってこれからもそれを持ちながら進みたいなと思います。みんなも自分の好きなこと頑張ってね。」全然分かんない。初めて、神宮寺くんのことがわからなくなった。こわかった。春の雑誌は悲しい言葉で溢れていた。ありがとうも頑張ってねも、こんなに悲しいのは初めてだった。いつだって先読みして安心させてくれて、甘やかしてくれて、なのに突然さよならみたいな台詞をいわれても全然分かんない。解りたくない。置いていかないで欲しい。

 

過ぎる時間の中で、解釈とそこにある真実だけを汲み取る作業は、とてつもない労力と、記憶と事実とそのどれもが否定されてるようで、わたしは弱かった。

誰よりも隣にいた手を離したとき、彼はどんな思いで送り出していたんだろう、とか、ひとり心折れそうになったときに踏み留まれたのは自分とのその約束があったからかな、とか。あいにく、あなたは抱えられる強さも持っていた、不器用なくらい。

わたしが神宮寺くんを大切にしてるように、メンバーから神宮寺くんがどれだけ大切にされてるかなんて泣きたいくらい知っている。

そんな神宮寺くんがその場を離れるという選択肢を自分の中に置いていた、という言葉がぐるぐるする。けれどそれもまた、神宮寺くんが大切だと思う誰かを、または自分自身を、大切にするという意味かもしれない。何も知らないわたしが無下することなんて出来なくて。

初めての紅白で「ずっとそばで」と5本と1本の指を自分の胸にとんとん、としてみせたあれも、初めての東京ドームで「恋の魔法には期限がある、時がたてば 宝石もガラス玉さ」と歌ったあの表情も、そこには一体どんな思いがあったのだろう、って、ぎゅって、なる。あなたがみえないところで思い悩んでいたのかもと思うと、これまでの、幸せな時間さえも、本当の姿ではないんじゃないかと、偽りの記憶になってしまう。

 

神宮寺くんを好きな一瞬と、例えば恋人と映画館でデートをしたり、なんてありふれた幸せの一生は、わたしにとってはきっと比例するくらいかもしれない。あの感情が高ぶる感じとか、ぎゅってされて掴まれて逃げれなくて幸せの淵まで落ちていく感じとか、そういうの全部全部ずっとわたしの栄養になるわけで。小さな幸せが積もるのも、日々の中で大好きが募るのも、いつしかそれはわたしの特別になり、人生になり、しわしわのおばあちゃんになったときに思い出しては心躍るような昔話になるんだと思う。だから、少し急足だったかもしれないけれど、短い時間の中で一生分の幸せを貰えたとも思う。

 

彼らのもとで何が起きていたのか、それを知ることは、きっとこの先もないと思う。わたしなりの解釈と都合良く思い込んで、それでいい。

King&Princeのことは、
King&Princeにしか分からない、

ほんとその通りだなぁと。こういう形にはなったけれど、その結論までに5人がそれぞれの内心を知れていたなら、それでいい。

だから、あなたは謝る必要なんてこれっぽっちもないし、楽しく、ただ楽しく、過ごして欲しい。神宮寺くんの最初で最後のわがままかもしれないから。彼が自分と交わした約束を守れたなら、それでいい。

Lovin' youのMV撮影のとき、「できる限り嘘がないように」ってデートする神宮寺くんの言葉。あれね、ずっと大切にしているんだ。あなたがどんな思いで、アイドル、という自分の職業に向き合ってきたのか、この言葉こそそのすべてだと思うから。せめても過ごした時間だけは嘘がなく、夢を追う途中の道で、幸せな笑顔だったと思いたい。あなたは誰よりも、幸せがよく似合うひと、だから。

 

こんな未練だらけブログを書いたことなんて忘れた頃に、いつかそうだったように懐かしく思える日が来るのだろうか。何にも変わってないなぁ、って笑えるだろうか。
Jr.として最後の公演、ハピアイの千穐楽。Princeとして、Jr.として、最後の神宮寺くん。「Prince Princess」で、神宮寺くんだけ見るのがもったいなくて、Princeを見ていた、あぁ、これが最後なんだなって思いながら、好きになったあの日みたいな大好きで今日を忘れたくない、一生忘れたくない、そんな想いだった。卯年のカウコンで同じことを考えていた。

この目に映る最後の「シンデレラガール」になるかもしれない。

神宮寺くんがどんな顔して4人と向き合っているかなって、どんな顔して廉とぱくってしてるかなって、双眼鏡も、ペンライトも、下ろしたんだ。

この心に焼き付けるように、この空間のすべてを忘れないように、夢中でシャッターを切った。
東京ドームでマイクを握る神宮寺くんの姿をいつまでもいつまでもわたしの、全部、が覚えていられるように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神宮寺くんに伝えたいことは、
ありがとうとありったけの大好き、それだけです。

犠牲にしてきたものを取り戻す時間ではなく、
自分が触れたいと思うものにたくさん出会える、
かけがえのない一瞬を編む時間となりますように。

世界中のおいしいカレーを巡ったり、
お気に入りのサングラスと出会ったり、
美しい景色をみたり新しい風に触れたり、
まだ知らないサウナに入り浸ったり、
今まで足を伸ばせなかった場所まで旅をしたり、
大事な人と大切な時間を過ごしたり。

そうだね、そんな願いは書き切れないし、
今までアイドルと引き換えにしてきたものの存在に
気付いてしまうし、このくらいにして。

わたしは神宮寺くんの語った辞める理由を、
この場では信じます。
ここで見えないものに縋って、
あなたのものではない言葉に飲まれて、
それはちがうと思うから。
あなたの美学であり、
どうすることも出来ない嘘だったとしても。
自担を信じられなくなったら、そこまでだなって。

「深層にあるものなんて触れられるものなんてない」そう、涙声の震える声が聞こえても、
わたしの頬に伝うものがあっても、
全部聞こえないふりをして、今日を迎える。
だって、わたしは神宮寺担だから。

神宮寺くんがジャニーズでいてくれたから
見つけることが出来たし、
アイドルでいてくれたから
きゅんきゅんしたり歌う曲に救われていたりした。
誰かを幸せに、喜ばせられるお仕事って、
世の中にたくさんあるけれど、
こんなにも大好きだなって思えるのは、
アイドルの特権だよ。

神宮寺くんの優しいところが大好きです。
岸くんの言葉を借りれば、
「神宮寺の全くずるくないところが好き」
神宮寺くんみたいにひとつひとつ丁寧に真摯に
向き合い、信頼されたり、尊敬されたり。
美しく、真っ直ぐ、聡明に生きていたい。

いつも誰かのことを優先させていて、
意外と不器用だから思わず手を差し伸べたくなるときもあるけれど、
胸の奥底に何か熱いものを密かに隠し持っているような、凛とした神宮寺くん。

大好きから始まったこの想いは、
いまでは憧れの存在です。

一緒に夢を見させてくれて、
背中を追いかけさせてくれてありがとう。

アイドルを選んでくれて、
続けてくれてありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたがジャニーズとして生きた時間は、
あなたの人生の時間の中で、
いつか、そうではない時間の方が長くなる。

EXシアターに立つ神宮寺くんも、
帝国劇場に立つ神宮寺くんも、
横浜アリーナに立つ神宮寺くんも、
東京ドームに立つ神宮寺くんも、
ジャニーズにいたから叶えられたことだと思う。

今となっては、夢が途絶えた場所、ともいわれるかもしれないけど、誰よりも誇らしげにその名を背負っていたことを知っている。

 

 

最後はね、悲しいこともあったけれど、

それでも、ジャニーズ事務所にいる神宮寺くんは

わたしの宝物でした。