きみがジャニーズであったこと


大好きだった、


弱っているものが美しく映る世界で、
あなたは、勇敢で、逞しかった。

 

あの頃の神宮寺くんも、今の神宮寺くんも、ジャニーズJr.特有の、ある日突然この表舞台から消えてしまいそうな、危うさとか、儚さとか、そういうのものは感じさせないタイプのアイドルだった。
どちらかといえば、歓声の中でスポットライトを浴びた分だけ自信に変えて満ち足りたように踊っていたからだと思う。神宮寺くんを応援していて、好きでいて、自分も幸せになれたのは、あなたがジャニーズとして生きる自己肯定感が高かったからなんだろうな、と。

 

雨降る日に、願った。
「デビューする神宮寺くんが、誰よりも幸せでありますように」
その想いはいまも変わらず、あなたが健康で心健やかに過ごしてさえいれば、と幸せを願うばかり。これまで授かったたくさんの愛をお守りにして、わたしもわたしの人生を生きて行くのだなと思う。

あなたがいてくれなかったら、ひとりでは出来なかったことがいっぱいあるよ。自分だけで飛行機に乗るなんて考えられなかったし、現場ではいつだってきらきらしていたくて、お洒落を覚えるのもあっという間だった。ときより、街でブルーのワンピースを見かけては買いそうになる癖はなかなか抜けないね。今年はもう着ていくところがないかもな、なんて切ない幸せを今更教えられている。
うちわと、ペンライトと、ほんの少しの夢うつつさ、とを詰め込んだスーツケース片手に出勤する4月の月曜日とか、地方の居酒屋でだらだらと自担の好きなところを語り合ったあの8月の熱帯夜とか、いつもの夏は来ない。こうして秋になって、冬を迎えて、あなたとじゃない季節が増えていく。ひとりでは何も出来ないね。原動力が、すべてあなただったから。あたりまえの生活すらままならない。

 

アイドルでいること、ジャニーズであること、誰よりもそれを大切にしていたのはあなただったよね。
「ジャニーズのコンサートって一律同じ料金をいただいている」「Jr.の照明が暗くなっちゃう」と腕まくりして、リハの機材席に張り付いてスタッフさんと肩を並べる姿、アイディアと努力が詰まったiPadを片手に客席まで駆け降りてスタンドを走り回る姿、4年目にして担うものを形にしたいという責任と誇りが零れ落ちそうで。わたしは必死にかき集めて、鍵のかかるところへ閉まったんだ。あなたが、ここで見つけた、大切なものだから。初の単独ドームで本業をこなしながら、暗転の中で映像を確認する姿。この5年で掴んだふたつの柱だった。
バックで誰よりも大きく口ずさみながら踊っていた少年が得たもの、それがここで生きたんだなってうれしかったなぁ。神宮寺くんの演出も、演出を作り上げる神宮寺くんも、わたしの特別だった。

コンサートの最後、5人ともが客席に背を向ける。Jr.一人ひとりの顔を見て、彼らの名前を呼んで紹介するのが恒例になったのはいつだったろう。
あの背中、大好きだったよ。長年、Jr.のトップを牽引してきたあなただからこその想いがあったりするのかなぁ。いまでこそ、幅広いコンテンツからJr.の名前やグループ名を知れる時代になった。でも、やっぱりコンサートのバックって特別というか。あなたが作り上げてきたものが、あなたたちに限らず、後輩そしてこれからの環境で生き続けること。神宮寺くんがよく口にしていた恩送り、だね。バックで着いてくれてた子たちがデビューしてコンサートをしたとき、このときのことを思い出して、そうやってまた想いが繋がったら素敵だね。

 

書店で並ぶアイドル誌にあなたがいないことが想像出来ないし、地下の狭い場所で写真を選んだこともいつか忘れるかもしれない。歌い込んだ楽曲があなたの声で更新されることもないし、門限を気にされることもきっともうない。暑くて、狭かった、あの夏は、蜃気楼のように消えてく。

「シンデレラガール」も「ichiban」ももうあなたの手からは離れてしまう。こんなにも簡単に。悔しいし、もっと、出来たことがあったんじゃないかって、わたしたちに出来たこと、例えば、売上枚数、再生回数、タイトル、数字、求められているもの全部教えて欲しかった。「無理はしないでほしいな」じゃなくて、もっとわがままをぶつけて欲しかった。アイドルとしての偶像は完璧だったけれど、あなたの本心が欲しかった。「自分が欲しいと思うものを無理なく手にしてくれればいいし、それを何度も楽しんでいただければと思っています」甘えていた。好きなだけでは、きっと、だめだった。

 

あの日、11月3日 23:00。たくさん後悔した、開き直って前向きに過ごしてみたり、たくさん泣いた、立ち止まって振り返ってみては、過去の自分が羨ましくてたまらなかった。
「推しは推せるときに推せ」なんて、誰かの受け売りだけれど、あの頃はいろんな媒体でそれを目にした。自担が踏み台にされているようで、心が苦しかった。
他G担も別界隈も、他人事だからそういえるんだろうなと思った。いつ降りかかるかなんて分からないし、きっとこの言葉を常に胸に置いていたとしても、後悔しないことなんてないんだろうな、といまでは分かる。ならば、なにひとつ後悔がないのかと問われたとき、わたしは強がって、「行った後悔より行かない後悔、後悔したことはない」と答えるだろうけど、到底そんなわけもない。

熱愛も、流出も、匂わせも、裏切られたことなんて一切なくて、こんな言葉、本当に重くて、困ると思うのだけど、愛されていた記憶しかない。大切にされて、いつでも一番に考えてもらって、そんなの痛いくらいに伝わってた。「あぁ、この曲のダンスが好きなんだろうなぁとか。たくさんティアラの皆さんのことを考える期間でした。素敵な期間、僕たちに与えてくれて、本当にありがとうございました。」っていってくれたこと、いまでも覚えているよ。

あとね、「僕たちにたくさん愛をくれるので、僕たちはいつもお返ししなきゃなと思ってるんですけど、なかなか皆さんの愛の方が多くて、まだお返しきれてないなぁ」っていってたけれど、ううん、神宮寺くん、それはね間違ってるよ、大きな愛はちゃんと届いてたよ。ちゃんと届いてた。愛することも、愛されることも、教えてくれたのは神宮寺くんだった。愛する人の幸せを願うのもまた愛なのだと、彼の幸せを願うことが自分にとっても幸せだと、そう思いたいけど、聞き分けの良い自分なんかじゃなくて。

だからこそ、「これから先、メンバーがこの先1人でも退所するという話が出たときに、自分も退所させていただくということを勝手ながら、自分の中で決めていました」って言葉が、ただひとつ、あまりにも本心のようで、なんの嘘もなくて、あなたの本当の本当の本音なのだと、余計にしんどかったんだ、

「誰かの役に立てるような人になりたいと」って何だろうね、聴きたかった2番も、披露してないカップリングも、消費されてないカンペもまだまだいっぱいあるよ。5周年、10周年、埋め尽くす光と、どこまでも続く夕空、水を使った機構、高く昇っていくしゃぼん玉、5色に照らされた夏の夜空と特効も、神宮寺くんの好きそうな演出だよ。こんなにも思い浮かぶのにね。

「いつもありがとう。お返しし切れないぐらいのたくさんの愛情を頂いたことは、ずっと心の中に大切にしまってこれからもそれを持ちながら進みたいなと思います。みんなも自分の好きなこと頑張ってね。」全然分かんない。初めて、神宮寺くんのことがわからなくなった。こわかった。春の雑誌は悲しい言葉で溢れていた。ありがとうも頑張ってねも、こんなに悲しいのは初めてだった。いつだって先読みして安心させてくれて、甘やかしてくれて、なのに突然さよならみたいな台詞をいわれても全然分かんない。解りたくない。置いていかないで欲しい。

 

過ぎる時間の中で、解釈とそこにある真実だけを汲み取る作業は、とてつもない労力と、記憶と事実とそのどれもが否定されてるようで、わたしは弱かった。

誰よりも隣にいた手を離したとき、彼はどんな思いで送り出していたんだろう、とか、ひとり心折れそうになったときに踏み留まれたのは自分とのその約束があったからかな、とか。あいにく、あなたは抱えられる強さも持っていた、不器用なくらい。

わたしが神宮寺くんを大切にしてるように、メンバーから神宮寺くんがどれだけ大切にされてるかなんて泣きたいくらい知っている。

そんな神宮寺くんがその場を離れるという選択肢を自分の中に置いていた、という言葉がぐるぐるする。けれどそれもまた、神宮寺くんが大切だと思う誰かを、または自分自身を、大切にするという意味かもしれない。何も知らないわたしが無下することなんて出来なくて。

初めての紅白で「ずっとそばで」と5本と1本の指を自分の胸にとんとん、としてみせたあれも、初めての東京ドームで「恋の魔法には期限がある、時がたてば 宝石もガラス玉さ」と歌ったあの表情も、そこには一体どんな思いがあったのだろう、って、ぎゅって、なる。あなたがみえないところで思い悩んでいたのかもと思うと、これまでの、幸せな時間さえも、本当の姿ではないんじゃないかと、偽りの記憶になってしまう。

 

神宮寺くんを好きな一瞬と、例えば恋人と映画館でデートをしたり、なんてありふれた幸せの一生は、わたしにとってはきっと比例するくらいかもしれない。あの感情が高ぶる感じとか、ぎゅってされて掴まれて逃げれなくて幸せの淵まで落ちていく感じとか、そういうの全部全部ずっとわたしの栄養になるわけで。小さな幸せが積もるのも、日々の中で大好きが募るのも、いつしかそれはわたしの特別になり、人生になり、しわしわのおばあちゃんになったときに思い出しては心躍るような昔話になるんだと思う。だから、少し急足だったかもしれないけれど、短い時間の中で一生分の幸せを貰えたとも思う。

 

彼らのもとで何が起きていたのか、それを知ることは、きっとこの先もないと思う。わたしなりの解釈と都合良く思い込んで、それでいい。

King&Princeのことは、
King&Princeにしか分からない、

ほんとその通りだなぁと。こういう形にはなったけれど、その結論までに5人がそれぞれの内心を知れていたなら、それでいい。

だから、あなたは謝る必要なんてこれっぽっちもないし、楽しく、ただ楽しく、過ごして欲しい。神宮寺くんの最初で最後のわがままかもしれないから。彼が自分と交わした約束を守れたなら、それでいい。

Lovin' youのMV撮影のとき、「できる限り嘘がないように」ってデートする神宮寺くんの言葉。あれね、ずっと大切にしているんだ。あなたがどんな思いで、アイドル、という自分の職業に向き合ってきたのか、この言葉こそそのすべてだと思うから。せめても過ごした時間だけは嘘がなく、夢を追う途中の道で、幸せな笑顔だったと思いたい。あなたは誰よりも、幸せがよく似合うひと、だから。

 

こんな未練だらけブログを書いたことなんて忘れた頃に、いつかそうだったように懐かしく思える日が来るのだろうか。何にも変わってないなぁ、って笑えるだろうか。
Jr.として最後の公演、ハピアイの千穐楽。Princeとして、Jr.として、最後の神宮寺くん。「Prince Princess」で、神宮寺くんだけ見るのがもったいなくて、Princeを見ていた、あぁ、これが最後なんだなって思いながら、好きになったあの日みたいな大好きで今日を忘れたくない、一生忘れたくない、そんな想いだった。卯年のカウコンで同じことを考えていた。

この目に映る最後の「シンデレラガール」になるかもしれない。

神宮寺くんがどんな顔して4人と向き合っているかなって、どんな顔して廉とぱくってしてるかなって、双眼鏡も、ペンライトも、下ろしたんだ。

この心に焼き付けるように、この空間のすべてを忘れないように、夢中でシャッターを切った。
東京ドームでマイクを握る神宮寺くんの姿をいつまでもいつまでもわたしの、全部、が覚えていられるように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神宮寺くんに伝えたいことは、
ありがとうとありったけの大好き、それだけです。

犠牲にしてきたものを取り戻す時間ではなく、
自分が触れたいと思うものにたくさん出会える、
かけがえのない一瞬を編む時間となりますように。

世界中のおいしいカレーを巡ったり、
お気に入りのサングラスと出会ったり、
美しい景色をみたり新しい風に触れたり、
まだ知らないサウナに入り浸ったり、
今まで足を伸ばせなかった場所まで旅をしたり、
大事な人と大切な時間を過ごしたり。

そうだね、そんな願いは書き切れないし、
今までアイドルと引き換えにしてきたものの存在に
気付いてしまうし、このくらいにして。

わたしは神宮寺くんの語った辞める理由を、
この場では信じます。
ここで見えないものに縋って、
あなたのものではない言葉に飲まれて、
それはちがうと思うから。
あなたの美学であり、
どうすることも出来ない嘘だったとしても。
自担を信じられなくなったら、そこまでだなって。

「深層にあるものなんて触れられるものなんてない」そう、涙声の震える声が聞こえても、
わたしの頬に伝うものがあっても、
全部聞こえないふりをして、今日を迎える。
だって、わたしは神宮寺担だから。

神宮寺くんがジャニーズでいてくれたから
見つけることが出来たし、
アイドルでいてくれたから
きゅんきゅんしたり歌う曲に救われていたりした。
誰かを幸せに、喜ばせられるお仕事って、
世の中にたくさんあるけれど、
こんなにも大好きだなって思えるのは、
アイドルの特権だよ。

神宮寺くんの優しいところが大好きです。
岸くんの言葉を借りれば、
「神宮寺の全くずるくないところが好き」
神宮寺くんみたいにひとつひとつ丁寧に真摯に
向き合い、信頼されたり、尊敬されたり。
美しく、真っ直ぐ、聡明に生きていたい。

いつも誰かのことを優先させていて、
意外と不器用だから思わず手を差し伸べたくなるときもあるけれど、
胸の奥底に何か熱いものを密かに隠し持っているような、凛とした神宮寺くん。

大好きから始まったこの想いは、
いまでは憧れの存在です。

一緒に夢を見させてくれて、
背中を追いかけさせてくれてありがとう。

アイドルを選んでくれて、
続けてくれてありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたがジャニーズとして生きた時間は、
あなたの人生の時間の中で、
いつか、そうではない時間の方が長くなる。

EXシアターに立つ神宮寺くんも、
帝国劇場に立つ神宮寺くんも、
横浜アリーナに立つ神宮寺くんも、
東京ドームに立つ神宮寺くんも、
ジャニーズにいたから叶えられたことだと思う。

今となっては、夢が途絶えた場所、ともいわれるかもしれないけど、誰よりも誇らしげにその名を背負っていたことを知っている。

 

 

最後はね、悲しいこともあったけれど、

それでも、ジャニーズ事務所にいる神宮寺くんは

わたしの宝物でした。

 

わたしのDREAM BOYS

 

トニトニと呼ばれ待ち望まれていた、2020年。

とあるウイルスによりこの世界のあらゆるエンターテインメントが姿を変えた。そんな状況下で無事に幕を上げたひとつの舞台があった。

 

冬の帝国劇場、「DREAM BOYS 」だ。

 

2019年に引き続き、King&PrinceのWゆうたこと、岸優太、神宮寺勇太が座長を務めるこの舞台。
「DREAM BOYS」について、神宮寺担の視点から物語ひとつひとつを紐解いていく。

 

 

 

まず神宮寺くんが息を吹き込むチャンプこと、ジン。
彼が表現するチャンプは、孤高の存在だった歴代のチャンプに比べ、悠然とした印象が強かった。死に物狂いでベルトを狙う姿とは少し離れ、誠実で、紳士的で、俯瞰的に映った。それは演じていたのが神宮寺くんゆえに滲み出たものだったのだろうか。

 

「命尽きるまで抗うのさ」

因縁の相手こと、ユウタとのリベンジマッチ。
チャンプの入場曲である“Fighter”では、自らの左胸に強くグローブを打ち付けた。

高らかに歌うその姿は彼の芯と重なる部分があった。覚悟を決めたような表情は、培ってきたものの形を変え後世へ繋ぐのだと変えられない運命の中で藻掻くような。

苦悩を自身の中で留め、常に穏やかなチャンプ。その目の色が唯一変わる場面がある。一番弟子であるタイショウに、ガウンを脱がされるシーン。それは、波風無い凪いだ空間から、一気にエンジンが掛かるようだった。リングへ上がる彼の背中は、チャンプとしての威厳が存分に殺気立っていて、強くて、逞しかった。

彼は、時より何かを抱えているようだった。ボクシングチャンピオンとして生きたこの世界にどんな証を残せるのか。序盤に見せたこの葛藤のような表情が、物語を固めていく伏線であろう。

 

「苦悩のシーンがアドリブだった」

そう、神宮寺くんが語ったのは、初演からもうずいぶん季節が巡った、夏の終わりのことだった。

下手袖で、妖艶に舞う振りには、コンテンポラリーの要素が取り込まれる。
口元をゆっくりとなぞり、喉元へ降りていく繊細な手指、ガウンの下に覗く腕の筋。女性ダンサーたちを頭蓋骨に潜む敵に見立て、脳内の激痛と緩和を表現する。巧みに操り、操られながら、まるで磁石のように、その凄まじい痛みを訴えかけていた。

これが神宮寺くんのアドリブから成立していたなんて。脳天を撃ち抜かれた気分だった。そして、女性を起用していたのも、大正解だった。しなやかな細い曲線と対比することで、彼の鍛え上げた肉体をさらに際立たせた演出。憑りついた悪魔がすーっと身体中を抜けて行くように、打たれるジャブの低音と、自らの首を締め付ける危うさ。
神宮寺勇太が織りなす世界観にとにかく痺れた。そして、そこへ客席が飲み込まれていくのが気味悪いくらいだった。

 

「ユウト、グローブを取ってくれ」

ユウトは枕元にあるそれに手を伸ばす。
そしてチャンプの手元へ渡る。

青のグローブは病に倒れたチャンプに寄り添うようにベッドサイドに掛けられていた。ユウトの手を介して、チャンプの手の中へ、そしてまたユウトヘ。

もう一度、自分の手の中に収めたかった意味について考えた。グローブに刻まれたボクシング人生を思い返すかように、チャンピオンとして打ってきた一撃一撃を振り返るかのように、最後に、愛おしそうに握り締めた一瞬ののち、何かを決心した、そんな安らかな時間が込められていたように思える。

 

「これは俺がチャンピオンになった時のグローブだ」
「やるよ」

チャンプが譲った、青のグローブ。
そして臓器提供された、心臓。

チャンプを象徴する青のボクシンググローブと、心臓は共同体だったのかもしれない。

本編にチャンプの死やユウトへの心臓移植について直接的に触れるシーンこそない。けれど、あの病室でのやり取りこそ、その概念を象徴させる場面だったのではないだろうか。

チャンプの心臓がユウトの体内ヘ移植されたことにより、新たな心臓の主はユウトになった。青のグローブがチャンプからユウトへ譲られたこともしかり、彼こそが青のグローブの主となった。すなわちそれは、未来のチャンプになることまでもを示し繋がっていたと考えることもできる。

 

「ユウト、お前がチャンピオンになる日を楽しみにしているからな」

天国から見守るその眼差しは柔らかなものだった。

青のグローブと、
心臓と、
それから自らが描き続けた夢の続きを、

チャンプはユウトへ託したのかもしれない。
「未来のチャンピオンへのプレゼントだ」と。
劇場に響く鼓動とともに、彼はそう笑ったんだ。

 

「タイショウは?」

もうひとつ感慨深いドラマがあった。
一番弟子であるタイショウとの関係性。

ユウトが誤ってタイショウを刺してしまったことを打ち明けると、普段穏和なチャンプが思わず取り乱した。命に別状はない、と容態を聞き安堵した表情から、一番弟子として面倒を見る彼への想いが伺える。

しかし先に述べたグローブを譲るシーンで、タイショウが選ばれることはなかったのもまた事実で切ない。ユウトへの移植手術が成功し和らいだ雰囲気の最中、タイショウは、ひとり俯く。尊敬してやまない恩師との別れ、ともに夢追う仲間への想い。
手術の成功とは、そのどちらともを意味していた。

手放しでは喜べない、悲しみの狭間にいる表情をして見せた、岩崎大昇くんのお芝居にただただ惹き込まれた。

 

「みんな誰かのために生きている」
「出会いと別れを繰り返し、躓いたその先に素晴らしい場面を」

なら誰がチャンプのために生きたのだろう。
チャンプの死は正義だったのだろうか。

わたしもまた、その死を受け入れることができずにいた。どうにかチャンプに生きて欲しいと願ったけれど、死の世界へ階段を昇るあなたは、今までの痛みが全部晴れて楽になったような、穏やかな顔をするから、もうどうしようもなく、悲しくて、やるせなくて、少しだけほっとした。

前を向こう、と朗らかに歌う親子。夢見る若者たち。その姿を眺めながら、ぼんやりと、そんなことを考えていた。

答えは、まだ見つからない。やりきれない想いを胸に仕舞ったまま、カテコの拍手に包まれるのまでが、わたしの「DREAM BOYS」だった。

 

「だから俺たちに出来ることは何でもやろう!」
「手分けしてユウタを探して良いニュースをチャンプとユウトに届けてあげようぜ!」

畳み掛けるように暴動が起き、逃亡するユウタの捜索が続く中で、好きな台詞がある。

ヒダカの言葉だ。チャンプ陣、ひとりひとりの肩を掴み、揺らしながら訴えかける彼の姿に、胸が熱くなる。複雑に絡み合った人間関係の裏で、妬みや復讐が露わになっていく。

それでも「誰かのために」生きようとするヒダカ。情に厚いその存在は、明るく、生命的で、荒地に花が咲いたような、明確な打開策なんて持ち合わせていなくとも、人を巻き込んでいく絶大な力を持っていた。それはこの状況下ではあまりにも心強いものだった。


この台詞は、2019年の同舞台でも使われていた。正直、当時は何気ない一節だったと記憶している。

つまり、足繁く通った同じ演目でも、その時の自分には、するすると過ぎ去った台詞が、場面全体の印象を変えて、物語の行方まで左右する。舞台における「台詞」とは、そういう力を持った重要な一片を担っていると改めて思い知らされた。

それは、何度か耳にしていくうちに浮かび上がってくることもあれば、何度観てもハッとする、そんな台詞が生きる瞬間、と出会うこともある。

ひとりの人間が、演者として、言葉の細部から人格を創り上げることは、枠がなく、自由で、才能で、これだから演劇とは芸術なのだと、思わず心が躍った。

もちろん、演じていたのが、太陽みたいな浮所飛貴くんだったからこそ、さらに際立ったに違いない。そう思うくらいに、希望に満ち溢れ、温かく、素敵な台詞に磨き上げられていた。
浮所くんには完敗です。

「みんな誰かのために生きている。だからみんなの心が結ばれる、絆が生まれるんだ」

終盤、ユウタが涙とともに溢した一節。
この舞台の主題でもある。

チャンプが死者の門をくぐり、ユウトへ命が繋がる。この言葉を紡ぐ岸くんの震える声は、一生覚えていられる気がする。

みんなの心を結ぼう、と熱く尽力したヒダカが起こした行動も、まさにその本質を象徴するシーンだった。

「生き続けられる?」
「俺の心臓はまだ生きている」

劇中に、幾度となく出てくる「生きる」という言葉。

頭蓋骨に何らかの爆弾を抱えるチャンプにも、心臓病を患うユウトにも、結び付く台詞。重要な役割を担うコピーでもあり、随所へ散りばめることで、深く、記憶に刷り込まれた。

選手生命、病と闘う運命、映画の世界で名を残す偉業、「生きる」という価値は、人それぞれだ。でも、その全員が夢を追っていた。

リングに上がり続けること、健康に日々送れること、大切な人を救うこと。
チャンプ、ユウト、ユウタ、登場人物一人ひとりに、それだけの夢の物語がある。

その意味をどう考えさせたかったのか、何を気付かせたかったのか。全てを汲み取り、咀嚼できたとは思わない。でも、すこしでも、その背景を膨らませながら、自らの主観を混ぜながら、観ることに費やした時間は、誰よりも豊かだった。

 

 

 

 


「生きる」とは、夢を描き続けること。
わたしが見つけた、この舞台の答えです。

 

 

 

 

 


2020年のドリボはここからを無くしては語れない。

幕を上げたとはいえ、世間はまだ感染拡大の最中だった。大幅な構成のカットや公演時間の調整を求められる状況、ショータイムや挑戦者を削ぎ落としたことは、やむ終えない選択だったのか。

 

一昨年、密着取材していたRIDE ON TIMEで、その存続が問われるシーンがあった。

「ショータイム要らなくないですか」
「本人として何を観せたいか、君たちが何を観せたいか」

演出家、堂本光一氏が、ふたりに渡したオールには、どんな意味が込められていたのだろう。

座長に忖度しているような空気の中で、揺れた岸くんの瞳は、隣でただ静かに佇む神宮寺くんの顔色を伺ったようにも見えた。

年の瀬の帝劇へ通う日々の中で、赤幕を掴み奈落へ落ちていくドリボが、"挑戦者で締めるドリボが、日に日に恋しくなった。幕間がなくなり、簡略化された赤幕。プロジェクターを駆使した演出は画期的であった。しかしあの場面こそ、ドリボの真骨頂だから。変わらずあって欲しい。

幻となった"挑戦者"は、エンドロールに相応しかった。バッドエンドとも、ハッピーエンドとも言えないドリボ特有のあの慈悲溢れる空間に惹き込まれたまま、観客は戻れなくなる。長い長い夜が明けた、波静かな客席に響き渡る、いわば主題歌。悲しみの淵に立たされたまま、幕が降りていくの見守ることしか出来ない神宮寺担のわたしとしては、なくてはならない存在だった。

いつかあのドリボがまた観られますようにと、丸の内仲通りのイルミネーションに願った。

 

 

 

 

千秋楽のカーテンコール。

涙を溢した岸くんと、
その隣で凛と微笑んだ神宮寺くん。

肩の荷が下りたように、晴れ晴れとやり切ったふたりの表情は、胸の奥をぎゅっとさせた。真っ赤な薔薇の花束を抱えて、感極まって言葉に詰まるゆうたも、なんでもないような顔して挨拶をするゆうたも、どちらもWゆうたらしくて。

初日まで本当に幕が上がるのか半信半疑だったね。無事に新年を迎えた矢先、緊急事態宣言の再発令により続行が危ぶまれ、この公演が最後かもしれないこの公演が最後かもしれない、何度も覚悟を決めて舞台に立つ日々だったのだと、のちに彼らも語った。

コロナ禍にあり、臨場感の中に自分が入り込める世界がこの東京のどこかにあるという安心感は、間違いなくあの年のわたしを救ってくれていた。
いろんなものが失われて、戻らないものもある世の中になっても、ドリボが帝劇で公演されていることは精神的にも大きな支えになっていた。

きっと数え切れないほどPCR検査を受けて、休演日には、それぞれのグループや個人の外部の仕事で、常に気を張っていたはず。演者、関係者を含め、期間中一人も感染者を出さず、全公演幕を上げたこと。座長ふたりの尽力だけではなく、誰ひとり取りこぼさずに作り上げたカンパニーがあってこそだったと思う。

大袈裟といわれるかもしれないけれど、命を削って舞台に立ち続けてくれてありがとう。
本当にがんばったね、お疲れ様でした。

Show must go on

エンターテインメントを届けることを、
続けてくれてありがとう。
来年こそは、客席を華麗に羽ばたけますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その一言で結ぶつもりだった、本当は、
でも、それは叶わなかった。

神宮寺くん、岸くん、
「DREAM BOYS」二年間、お疲れ様でした。

岸優太と、神宮寺勇太が、
ユウタと、チャンプとして。

あの神聖な「DREAM BOYS」を、まさか自担が引き継ぐだなんて、それをこの目で観られるだなんて、いまだに幻みたいな本当の話で。

その名の通り、夢のようなひとときでした。

帝劇の舞台に立つ神宮寺くんはやっぱり特別で
胸に手を当て、美しく品のある三方礼。
客席、一人ひとりと目を合わせるように見渡す目線。
そして、最後列まで置き去りにしない演技。

前列に入ると表情の豊かさに圧倒されました。
近くで見ると大袈裟なくらいの表情こそが、二階席の端まで顔を伝えるんだと知りました。
舞台期間中にだけ、神宮寺くんが背負う覇気みたいなものが大好きで、それに夢中でした。

神宮寺くんは、少年隊の錦織さんの言葉をすごく大事にしていましたね。

「舞台は"船"だと思ってと言って、船にみんなキャスト全員が乗っている。ゴールまでみんなでやり抜くっていうのが舞台だ」
「舞台は船の上と一緒。出航したら一人も欠けずに船の上で成長していくんだ」

ふたりが舵を取っていた船は、まだまだ航海の途中だと思い込んでいました。あまりにも穏やかな波で、その揺れに気付くことはなかったです。

ツアーの傍ら、地方公演の楽屋でバックハグしながら岸くんにギター教えていた神宮寺くん、初夏になると徐々にがっしりしていく神宮寺くん、休演日明けに太もも裏にテーピングを隠しながら公演に出て、別仕事の陸上ロケで負傷をしていたと漏らしたのは翌年、なんてこともありましたね。

想像していたよりもわずかだったその時間は、たからものになりました。本音を言うと、寂しい気持ちでいっぱいです。

 

今年も有楽町に秋がやってきます。

空高い秋晴れを見るたび、イルミネーションの支度をする街に出会うたび、ドリボがあったあの季節を思い出すことでしょう。

リングにキスしてくれるチャンプも、「家に帰るまでがDREAM BOYSです」ってお見送りしてくれる神宮寺くんもいない秋を。


あの秋、亡きジャニーさんに代わりとして見守ってくださった光一くんのお言葉。

「例えば岸と神宮寺がいつかまた演出で帰ってきたり」

ああ、未来は明るいな、と。この先、個人に外部の舞台に飛び込んできたり、物語を動かす側を担うときが来たりするかもしれないね。

この言葉をお守りに、そんないつかの季節を楽しみに、この秋に馳せてゆっくり過ごすことにします。


 


いつかまた、帝国劇場で会いましょう。

自担がデビューする

 

 

2018年1月17日 14:00

雨が降り出した。
ふと友人からラインに気付く。
「キンプリ、デビューだってよ」

 

自担がデビューする

 

何が起きたのか理解できなかった。ただ、うまく息ができなくて、新宿駅の改札の前で状況が掴めないでいた。
そのうち各所から連絡がきて、やっと何が起きたのか把握したような、したくないような、そんな不思議な時間が流れた。

ぼんやりと山手線のホームに向かいながら、「おめでとう」その言葉を未だ震える手で必死に打った。
頭がぐるぐるして、ふわふわして、なんだかよくわからない感覚だった。気がつくと新宿から電車に揺られていた。

なんとなく家に帰る気分にはなれなくて、友人に連絡して待ち合わせることにした。
カフェでホットココアを頼んだ。窓際の席から降り続く雨を見て、今日までのことをぼんやりと考えながら、私はひたすらホットココアを飲んだ。

 

 


何かが起こる…
気配には微塵も気付けなかった。
こんなに早くこの日が来るはずがないと勝手に予防線を張ってたのかもしれない。
「デビュー」その言葉の意味すらなんとなく曖昧になってしまっていた気がするし。

 

 


Princeが好きだった

、、やっと言えた。
この言葉がずっとずっと言いたかった。

あの日から各々に色んな感情があって、でもそれを語ることはどんどんタブーになっていく一方で。過去を懐かしむことすら避ける空気になって。でもやっぱり、言葉にしたかった。海に向かって叫ぶみたいな、そんな消化の仕方でいい。誰にも届かなくていい。片付けられないこの気持ちをまだ大切にしていたくて、あえて、目の留るところに残した。

 

PrinceがPrinceであったことを忘れないように

神宮寺くんを好きになった春。その背中から目が離せなかった。Princeといると、あのふんわりとした優しい雰囲気に私自身も溶け込めるような感覚だった。大好きだったその面影を残したままなんてあまりにも残酷で、いっそ解体してしまえばいい、そんなことも考えた。King & PrinceのどこかにPrinceの面影を感じて、後ろを向いてばかりで。未来にしか興味のない神宮寺くんが眩しい。どんな裏側があったのか、それは一生明かされないままかもしれないけど、6人になることを悲観することは絶対にない。

 

 

デビューする神宮寺くんが、
誰よりも幸せでありますように

 


今日、桜が咲きました。